STORY海部舞のストーリー
ベトナムニャチャン市生まれ。
ボートピープルとして生後3か月で祖国ベトナムを脱出し、日本のマグロ漁船に救助された生い立ちを持つ。
宇都宮大学国際学部を卒業。
自身の生い立ちを辿り、難民について探求し学んだ末、「”難民”というのはただの定義であり、より重要な人としての本質は愛など目に見えないものの中にある」と悟る。
テレビ番組制作会社での勤務経験を経て結婚し、離婚。
311を期に2人の子どもを連れてシングルマザーながらも南信州に移住。そこで出会った現在の夫と再婚。再婚してすぐに西洋占星術と出会う。
これまで探求してきたスピリチュアルやアドラー心理学では解明できなかった自分自身の全てがホロスコープという天空図にすべて示されていたことに衝撃を受け、西洋占星術を学び始める。ここから、急激に最高の人生になる。
学び始めて3か月でブログで情報を配信し始め、半年でセミナーを開催。
西洋占星術をあっという間に習得した速さ、講師デビューの速さは異例。
星の配置から浮かび上がるイメージを言語化し、伝える、類まれな能力を発揮。
「宇宙を知り、自分を生きる」をテーマに、その人にしかない唯一の魂の青写真を生きること、伝えることをミッションとする。
- 01難民・離婚
シングルマザーを経て -
わたしが使用しているのは、西洋占星術です。いわゆる「星占い」として、皆さんに知られているものです。 ただ、わたしは占星術を「占い」ではなく「哲学」として生かしています。 どんな叡智も、どう受け取り、どう生かすかがとても重要なのです。 その方法を皆様にお伝えしています。
わたしが初めて西洋占星術に出会ったのは2014年の春です。ちょうど、再婚をして、仕事の仕方も変えようと思っていた時でした。
そもそも、わたしの生立ちというのはすごく特殊でした。 両親はベトナムのカトリック教徒で、ベトナム戦争の後、難民として船で国を逃れました。 奇跡的な流れで日本に移住しましたが、小さいころからわたしは「自分はひとと違う…」と感じていました。 それで自分の生立ちをたどって旅に出たり、ずっと「自分探し」をしていました。 その自分探しの中で、ベトナムを逃れた時の船に一緒に乗っていた難民の人たち数組に会いに行ったことがありました。 家庭をもって幸せに生きている人、カトリックの司祭になった人、いろいろいましたが、そのうち出会った2人は、精神を病んでいました。 精神を病んでしまったベトナム難民のための施設も見学しました。
その多くが、単身で日本に来た男性でした。
彼らは「守るものが無く、社会に疎外され、とても寂しいのだな」と思いました。 その時わたしは、「『難民』とか、そういうのはただのカテゴリーだった」ということに気が付きました。 「男」とか、「女」とか、「○○人」というのは、ただその人の属性を、性質の一部を表現しているだけで、本質ではないのだと。 わたしはようやくその時、自分の「難民」という生い立ちの呪縛から解放されたように思いました。そして、気にしていたのも自分だけだったんだと。 わたしたちには、人としてもっと大切なものがあるんじゃないか。それはすなわち「愛」とか、「社会での自己価値観」とか、そんなことなんじゃないか… この時初めて、自分の内側の領域に関心が向かったのでした。大学生のころでした。
この感覚を持って、わたしは一度愛を学びたいと思って結婚しました。
けれども失敗しました。
元夫は原因不明の体調不良となり、仕事ができなくなりました。
一方わたしは、子どもを産んだことで価値観が大きく変わりました。 一人の人間を自分のお腹から生み出したことで、命の神秘と繋がり、この命を守り、まっすぐに育てようと、自然育児、シュタイナー教育、アドラー心理学など、 いろんなことを学びました。 - 02わたしたちの人生の目的は「自分自身を生きること」
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元夫は、神経系の謎の病が治らず、それをストレスを与える他者のせいにし、病院や薬に「治してもらおう」としていました。 けれども、病気ってなぜ出来たのか、食べるものなんじゃないか、もしくは心じゃないか、在り方じゃないか、生き方じゃないか。そんな風に思えました。 それを変えようとしないうちは、一生治らないのではないか。
そうしてわたしは少しずつ、目に見えない世界のことを学ぶようになりました。 「わたしはなぜ生きているのか」「今後どうしたらいいのか」…そんなことを知りたかったのです。 世界的なベストセラーである『神との対話』を読んだときに、「わたしたちの人生の目的は『自分自身を生きることです』」と書かれていました。 その言葉に衝撃を受けました。「自分自身」を生きる…
わたしは、2人の子どもを連れて離婚することを静かに決意しました。 自分の人生を生きよう。やりなおそう。29歳の終わりのころでした。
そうして実家に戻って、理想の生活を整えた矢先、東日本大震災と原発事故が起こりました。わたしが住んでいた地域はいわゆる「ホットスポット」に。 せっかく人生を新たにスタートさせたのに、住む場所も、保育園も整ったのに、どうしてわたしの人生はこんなことばかり起こるのだと絶望しました。
そして、両親に頼ることもできない遠い長野県の南部に仕事を見つけて移住し、今の夫と出会いました。
シングルマザーだった2年半の間、わたしは幼子2人をほぼ一人で育て、死ぬほど苦労していました。ただ、日々生活すること、毎日を過ごすことが苦痛で仕方がなかった。 元夫は病気で仕事をしていませんから、養育費をもらわないことを最初から決めて離婚していました。 当時は日給5千円、月の手取りは10万円程度のパートタイマーでした。
大学まで出たのに、子どもを育てながらだとこれが精一杯でした。 子どもが病気をして休まなければいけない、長期休暇だ、というときには、収入が減ることに怯えていました。日給の5千円を受け取れないことは死活問題でした。 県営住宅に住み、福祉にも頼っていました。
もちろん子どもたちは可愛くて、ささやかな幸せを感じてもいました。それでも何かものすごく満たされないのでした。 「自分はこんなもんじゃない」、「悔しい」という気持ちがずっとありました。
そんな日々から、再婚してすぐに占星術に出会い、わたしの人生は激変しました。 - 03わたしの宇宙を精一杯生きよう!輝かせよう!
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星の世界は本当に衝撃的でした。自分の人生が、生まれた時の星の配置図である「ホロスコープ」にすべて記されていました。 今まで散々学んできた心理学やスピリチュアルでは見ることのできなかった、「魂のブループリント」「魂の設定」がその図には記されていました。 そして、星の配置図は一人一人まったく異なっていて、みんながそれぞれの宇宙を完璧に生きているのだと分かりました。 ここに来るまでの苦労や難民としての生立ちすらもホロスコープの設定に記されていました。そういう体験をして学び、 伝えるということがわたしにとっては大切だったようです。すべてはここに来るまでの準備でした。そう、わたしの人生は「完璧」でした。
そうして、わたしは心から決意しました。 「生きよう!わたしは、自分のこの宇宙を精一杯生きてみせよう!輝かせてみせよう!!」 その日からわたしは、見える世界が一変しました。
占星術を学んで2か月でブログで星の情報を発信し始めて、半年後にはセミナー講師になりました。 そうして今、夫は子煩悩で、奇跡的なくらい子どもたちをかわいがってくれます。 子どもたちはまっすぐに生き生きと素晴らしく育っています。
長野の自然豊かな場所で子育てをしています。 田舎にいながら、今は集客に一切困らないセミナー講師をしています。 月に2回前後、全国各地でセミナーを開き、あとは家にいながら自由に星の世界を感じ、発信するだけの日々です。
今はシングルマザー時代の年収の数倍を1ヵ月で売り上げています。 株式会社化して、ビジネスとして軌道に乗っています。 ハワイでもセミナーを開いたり、年に数回、海外に行けるようになりました。 世界中どこにいても、いつでも、パソコン一つでほとんどの仕事が出来ています。 占星術のセミナーでは日本一の集客が出来ています。 たった1年半で500名以上がわたしのセミナーでご自身の魂の青写真に触れました。 そうしてより自分らしい生き方に変えていく人が続出しています。
自分らしく、自分の役割を生きるようになると、一気に上昇気流に乗ります。 「星を使って」最高の「わたし」を生きましょう!!
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